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海城(うみじろ)は、水運を押さえるため海に直面して築かれ、海水を堀に用い、その一部に舟入や船着場を設置または兼用している城〔『城の鑑賞基礎知識』(三浦正幸、1999年・至文堂)〕、あるいはその形式。河川や湖沼に隣接する城と併せ、総じて水城(みずじろ)とも呼ばれる〔『図説戦国武将おもしろ事典』(監修・奈良本辰也、1990年・三笠書房)〕〔水城 - 大辞林 第三版(三省堂)〕(福岡県にある遺跡・水城(みずき)とは異なる)。 == 概要 == 海城は臨海にあって海を水運(海運)と防御に用いた城郭の形式であり、山城や平城などの立地に基づく分類とは異なり、平城の海城、山城の海城も存在する。海城は海運を押さえるため、舟の運用が不可欠であり、係留する施設として舟入や船着場が設けられたり、水堀の一部を舟入に兼用することが行われている。海城を特徴付けるのは、海に面している城壁と海に直接開いている城門であるとされる〔三浦教授インタビュー〜専門家から見た三原城〜 - 三原市〕。例えば、五角形の形をした宇和島城の場合、西側の二辺は海を天然の防御線とし、東側の三辺に海水を引き込んだ水堀を設けており、船が出入りできる城門(黒門と黒門矢倉)を備えていたほか、城の周囲に舟小屋や隠し水軍基地も設けていた。 海城は瀬戸内海周辺に多く見られ〔、もともと水軍の城が多い海路の要衝に位置している。村上水軍を傘下に取り込んだ小早川隆景(海城の名人と評される〔現地説明板「名島城跡(福岡市教育委員会)」では「(小早川)隆景は「海城」を築くのが得意であったため、立花城の出城が置かれていたこの名島に築城した。」と解説している。〕)が築いた三原城や名島城は、水軍が拠点を設けていた場所に築城された。戦国時代末期以降に築城された近世城郭としての海城は海岸近くの低地に建てられるため、平城の一種として扱われることもあるが〔赤穂城とは (赤穂城について「変形輪郭式の海岸平城」と解説している) - 国史跡赤穂城跡公式Webサイト(赤穂市教育委員会生涯学習課文化財係)〕、島や半島の小山を城郭化した水軍拠点の城(来島城や後述の水軍城など)は平山城に近い特徴を持つ。 城の立地によっては水に浮かんでいるように見えることから、三原城などは「浮城」の別名がある。また、近世城郭の海城として最初で最大の城と言われる讃岐高松城〔『ビジュアル・ワイド 日本名城百選』(監修・村田修三、小学館・2008年)〕は、「讃州さぬきは高松さまの城が見えます波の上」と謡われた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「海城 (城郭)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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